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組ルールの統一で宝塚は変わるのか

先日、宝塚各組に存在する「組ルール」を新たに変更し、5組共通で統一するとの報道がありました。

宝塚歌劇団は「ハラスメントの温床の恐れ」があると指摘された組ごとのルールを年明けにも統一する方針を固めた。

組ルールとは上級生への言葉遣いのほか、稽古中の机の並べ方や窓を開ける時間などについて5つの組それぞれで定めた独自のルールだ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/4762db86350b1a8732bda29b7b2e28d3c4fc489b

組ルールが存在する事は、何となく生徒やOGの話で以前から知っていました。

各組で微妙にそのルールが違う事も同じく周知の事実で、「組替えすると違う国に来たように感じる」「慣れるまで戸惑った」という話もよくされていたように思います。

一般社会でも、部署異動や転勤により、同じ組織で同じ業務をしていたとしても、支店によって微妙に細かい違いがある事は分かるので、組ルールの違いについて、そこまで気には留めていなかったのですが(もちろん組替えは大変だろうなとは思います)昨日の報道で元生徒が証言した組ルールの実態に戦慄してしまいました。

目次

ルールを守れないと罵倒される

ルールを守れなかったら、どうなるのか元劇団員が証言した。

【元劇団員】ルールを守れないと上級生数人に取り囲まれて、<死ね><顔も見たくねーんだよ>などと罵倒され続けた。数時間続くこともあった

https://news.yahoo.co.jp/articles/4762db86350b1a8732bda29b7b2e28d3c4fc489b

いやこれは異常すぎませんか。暴走族のレディースの話?ってなりました。

証言の元生徒はいつ、どの組に所属していたのか不明ですし、全ての組がそうだとは思いたくありませんが、これが事実だったとすれば、「ルールを守るうえでの指導」からは大きく逸脱しており、なぜこれが問題視されなかったのか、代々受け継がれてきてしまったのか疑問しかありません。

組ルールと規則書についての報道

数週間前の週刊誌で、宙組の副組長がこの「組ルール」について「必要なもの、不必要なものをまとめて、
もう一度宙組の”規則書”を見直してほしいなと思っています
」と発言したとありました。

その少し前に音声が流出した月組説明会、月組長の発言でも「私たちの時にはなかった規則が今はあったり。変えていくべきことは変えていかないといけない。組として必要じゃないものを全て排除していきたいんです。」とあります。

“規則書”とは、週刊誌の記述によると、上級生への礼儀作法など数十枚にわたって手書きで記されたもので、内容は組によって少し異なるようです。

5つ組があるので5つの”規則書”が存在するのでしょうか。手書きって所が何となく宝塚っぽいですよね。

これを今、各組で話し合ったり、外部の専門家も交えて改訂しようとしているようです。

規則書っていつから存在したの?

私の知人に30年程前まで在団していた人がいるのですが、その人によれば”手書きの規則書”は覚えがなく、忘れているだけかもしれないが、記憶にないとの事でした。

もちろんお稽古や舞台を円滑に進めていく上での各組ルールは存在したのでしょうが、今ってこんな事になっているの?と驚いた様子でした。

規則書や組ルールについて調べていくうちに、宙組が発足した際、どのように組のルールを作っていったのかという興味深い記事と著書に行き当たりました。

宙組発足時の組ルールの制定方法

25年前に発足した宙組の初代組長、大峯麻友さんによれば、組が発足する際に、宙組の組ルールを定めようという事で、各組に元々存在しているルールを聞き取り、例えば

星組と月組で採用されていた、衣装を着たまま座ってはいけないというルールは、特に男役は衣装で座ると、パンツの膝が出て格好が悪くなるので、お客様にベストな状態で観ていただくために、宙組でも採用しました。

https://friday.kodansha.co.jp/article/297416?page=2

夜遅くまで何度も集まって、各組に存在するルールの採用、不採用を行い、宙組のルールを新たに定めたそうです。

そして彼女の著書によると、それらをまとめてルールブックを作成し、配布を行ったとあります。

そこに「規則書」という言葉は使われていません。

各組のルールの違いは、ささいではあるけれど、それぞれが大切にしてきた文化だから、それを採用、不採用するにあたり、遅くまで話し合い、ルールブックにまとめて初めて「守ってね」と言えるのだとありました。

上記の例で、どうしても衣装を着て座ってしまう人に関しては、ここで例外を認めては新しい宙組のルールがいずれ形骸化してしまうので、根気よく注意した、ただしオンオフは切り替えて、普段は楽しく接するように心がけたとあります。

この「衣装を着たまま座ってはいけない」というルールは、華やかな舞台を魅せるうえで理にかなっているので、なんら理不尽なルールでは無いと思います。

あくまでも予想ですが、これらのルールが年月が経つにつれ、いつの間にか報道の元生徒が証言したように「窓を開ける時間」だとか、細かすぎるルールまでもが徐々に追加され、ルールを制定する意味や、注意する目的がどんどん脱線していき、理不尽に変形、そしていつしか手書きの規則書なるものが出来上がっていったのではないかと思いました。

あくまでもこれは個人の勝手な憶測なので、どういう経緯で規則書ができたのか、宙組発足時には他組で既に規則書なるものが存在した可能性もあります。

音楽学校も30年以上前くらいまでは、厳しくはあれど、そこまで意味の分からない変なルールは多くなかったと聞きますし、怒られる事に関しても、短時間で陰湿でないから納得できたと知人は言っていました。

音楽学校も、組のルールも「宝塚は厳しい」「上級生は絶対」のイメージが先行しすぎて、当初の目的とは外れたルールがどんどん追加され、おかしな事になっていったのではないかと予想します。

新しいルールを活かすには

先に紹介した大峯麻友さんの著書ですが、組長を任され、組をまとめるうえで気をつけた事として「メンバーが抱えているトラブルや問題は小さな芽の段階で摘む」という事が記載されていました。

組織で何か問題が起こる時、ほとんど最初は小さな事ですが、それを見逃していると取り返しのつかない問題に発展してしまう、とも記されていました。

それを防ぐために、大峯さんは様々な工夫をされていたようです。

例えば東京の寮に入る時は、常時組子の顔が見やすいランドリールームの前に部屋を取り、いつも扉を開放して話しかけやすい雰囲気にしたり、声をかけたり、門限ギリギリの生徒には「どうして遅れたの?」と先に理由を聞くようにしていた、など、時には注意するけれど、後腐れがないように、そしていつでも相談していいんだという雰囲気作りを心掛けていた事が伝わります。

時には生徒とスタッフの間に入って、組として困っている事を組長自らが訴え出たり(それでスタッフに無視されたり悔しい思いもした)など、とにかく自分が率先して意見を伝え、組全体をしっかり見て、見本となるような正しい姿を見せ続けていたんだなと、この話は以下の著書に詳しいです↓

とにかく大峯さんの著書を読むにあたり、組のルールを定め、生徒をまとめるうえで、根気よく注意することもあるけれど、時にはクッションになって、オンとオフは切り替え接する、組をよく見る、小さな事は見逃さず初期で対象、という事を徹底されていたように思います。

この辺りの事が、遺族の主張や、劇団が掲載していた今回の事故の経緯報告書を読む限り、残念ながら最近の宙組では機能していなかったんだろうなという印象を受けました。

今、規則書を統一して改めたとしても、生徒全員に「じゃぁ、これ新しいルールだから読んで守ってね」と配布するだけでは、いくら組ルールが新しくなったとしても、同じことの繰り返しだと思います。

根本は、幹部や上級生、そして組のプロデューサーもきちんと全体の生徒を見て、理不尽ではなく理にかなった指導、態度、雰囲気を新たに作る所から始めなくては、真の改革には繋がらないのだと思います。

この規則書の改訂が良い方向に動く事を願います。

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