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花組「うたかたの恋」演出の変更点まとめと感想

先日幸いにも公演休止前に観劇できた花組公演「うたかたの恋」の感想を過去作との変更点を交えて記録したいと思います。ちなみに観劇は1月7日なのでその時点での内容、感想です。

(※1月21日に2回目を観劇したので追記、訂正を加えました)

※出演者についての感想はこちら

今回のうたかたの恋は潤色・演出を小柳奈穂子先生が行っています。小柳先生の作品はどれも好きなので、とても楽しみにしていました。

そして今うたかたの恋を演じるなら絶対に雰囲気ピッタリの花組トップコンビが担当するとあって、発表の段階から今か今かと上演を待ちわびていました。なにげにトップコンビ揃ってエリザベートでルドルフを演じた経験があるのも凄い。

途中コロナの影響で休演がありましたが、なんとか1月19日から再開しています。休演者、代役が出ましたが、このまま完走できる事を祈ります。

ネタバレも含みますので絶対に結末を知りたくないという方は観劇後に読んでいただければ嬉しいです。

はじめに

過去作との比較としては手元に映像がある2000年宙組版と2013年宙組版、2018年星組版のうたかたの恋を中心に用いています。

2000年版まで脚本演出の全てを柴田侑宏先生、20013、2018年版は演出を中村暁先生が担当しています。ちなみに中村版と柴田版では大きな変更はありませんでした。

2006年植田景子先生版は観ていないので触れていません。

そして今回の小柳版はまだ一度しか観ていない事と、手元に脚本がなく完全に記憶している部分だけになるので記憶違いや覚えていない事、見落としがあるかと思います。

あとは再度観る事によって感じ方が変わる事もあると思うので、あくまでまだ一度しか観ていない時点での感想、そして完全に個人的な感想という事で読んでいただければと思います。

(※二度目の観劇を終え、やはり見え方が変わりました。そして休演を挟み、再度観た舞台は一度目よりも更に進化していました。それぞれ演技も少し変化があり感情移入しやすく感じました)

初見の感想

まず今回の小柳版うたかたの恋を初めて観終わった直後の感想は「案外薄味あっさりだったな」です。

元々の柴田100%版が色々と濃いのでそう感じたのかもしれません。

(二回目に観た時はマリーとルドルフ中心で見ると薄味だが、周囲のキャラクター一人一人のキャラクターが深堀りされ、全体は濃くなっている事に気付きました。)

そして正直な所、今回の小柳版ではルドルフとマリーにそこまで感情移入ができませんでした。感情移入する前にあっさりと心中してしまった、というのが正直な感想です。

ただし二回目に観た時は、これは今までのように二人の心中を美化した悲恋物語ではなく、ルドルフ、マリーの元々持ち合わせていた境遇や気質が偶然にもタイミングよく合わさってしまい心中という結果になった、と解釈すれば、後述する心中描写の大幅なカットが腑に落ちるものがありました。

小柳先生がプログラムで「今回の上演は時代変化に伴い元々の台本、演出ともに手を加えている部分がありますが、原作の魅力を伝える事を第一としてそれを行った」とコメントしています。

その言葉の通り、確かに柴田脚本の美しい日本語はそのままに、時代に合わないセリフや価値観のカット、場面の入れ替え、新場面、新曲、キャラクターの追加等で作品の見え方や組子の見せ場が増えた点は今までの演出とは違う小柳版の大きな特徴です。

中村先生や植田先生が「演出」だったのに対し小柳先生が「潤色・演出」となっているのはそういった理由なのだと思います。

変更になって良かった所

かくれんぼごっこ、狼男ごっこ、指輪に結ばれた日付を刻む

うたかたの恋三大共感性羞恥心を呼び起こす場面、台詞です。

これは過去に観た事がある人なら分かると思うのですが、とにかく赤面するというか昭和ってこんな感じが良かったの?となってしまう部分です。

かくれんぼ自体は存続ですが「もういいかーい」「まだでございますわ」「もうよろしゅうございますわ」の台詞がカット、狼男ごっこに至ってはバッサリカット、指輪には「死ののち愛によりて結ばれん」とだけ刻まれていました。

あと過去作のかくれんぼごっこはわりと二人とも本気でやっていた印象なのですが、今回は自然な流れでマリーが机の下にもぐり、やってきたルドルフがテーブルクロスをめくるといった感じになっていました。とにかく恥ずかしさが削減されていました。

過去作ではテーブルクロスをすぐにガバッとめくっていたのに対し、今回はテーブルクロスを捲り上げる手つきがゆっくりで、すごく色っぽかったのでなんだか見てはいけないような物を見ているような感覚になりました。

これは良い意味での恥ずかしさがプラスされた演出で必見です。

そしてマリーを見つけるとルドルフが「とても分かりやすい隠れ方をしてくれていたからね」など何か一言言うのですがこれは毎回アドリブになっているようです。

今日は何を言うのかといった楽しみな演出です。

日に日に「可愛い」とだけ言ったりどんどん微笑ましく甘い台詞になっています。

(1回目に観た時は「とても分かりやすい隠れ方をしてくれていたからね」2回目に観た時は「可愛いらしいヒントをありがとう(低音イケボ)」でした)

あと過去作は本気のかくれんぼの後にマリーが「雪投げもしましたし鬼ごっこも花占いもカルタ遊びも」との台詞がありましたが、今回はこの台詞もなくなっていました。

いくらマリーが17歳でも年齢に対して遊びが幼すぎると思っていたのでカットされて良かったです。ただ、それによって二人の思い出もマリーに付き合って遊んであげるルドルフ像も減るので、もうちょっと何か他の思い出になるような台詞になっていたら良かったなと思いました。

(追記:ただし今回のルドルフは、マリーとの愛を成就させるために心中したのではなく、苦しみから逃れる為の逃避の心中のようにも見えたのでこの解釈ならその辺りカットされたのも頷ける)

新場面と新キャラクターの追加

ブルク劇場・舞台

過去作では観劇後の劇場ロビーでルドルフがマリーの扇子を拾ってあげる所で初めて対面しますが、今回はその前に客席で向かいあうルドルフとマリーの新場面が挟まります。

新場面だけあって新しいキャラクターの追加や見せ場、大劇場公演ならではのセットの登場で見どころがアップしています。

客席が上手(ルドルフ側)と下手(マリー側)に分かれていて客席からお互いを意識します。

ルドルフ側には過去作に登場しなかったルドルフの妹マリーヴァレリーの役が新たに追加されています。

マリーヴァレリーがオペラグラスで向かいのマリーを確認するのに対し、裸眼で確認できているルドルフはめっちゃ視力良いなと思いました。

あとルドルフ兄妹のマリーを品定めするような無神経な会話を真隣で聞かされる正妻ステファニーめちゃくちゃ可哀そう。そりゃ機嫌悪いわ。誰からも愛されないステファニーってエリザベート以上に宮廷に居場所なくない?

そんなステファニーの孤独ゆえの苛立ちはこの演出で過去作よりも伝わってきました。それを間近で見ていたジャンが後々ステファニーをダンスで紳士に静止しようとする場面に繋がるのかなと思いました。細かい所だけどこの辺り好きな演出です。

舞台中央では劇中劇のハムレットが上演されています。

劇中劇のハムレットは今まではルドルフを演じる役者が演じていましたが、今回はハムレットにはハムレット役、オフィーリア役、コロス役達が充てられているので組子の役と見せ場が増えました。

順番は前後しますがハムレットの前に今までは登場するだけだった皇帝の愛人シュラット夫人の歌唱場面も追加されていました。

そしていつもはシュラット夫人に付き添っていた皇帝フランツの姿がありませんでした。今作ではフランツはあくまで厳格者で、執務室でルドルフを責める姿勢に説得力が出ました。

過去作ではハムレットをルドルフ役が演じていたので、ハムレットを知らない者からしたら唐突にあれは一体何の場面なのかが分かり辛く、更にハムレットは気が狂ったフリをしているのでそのお芝居がまた微妙に共感性羞恥心を呼び起こしてしてしまう演出でもあったので、この変更は見やすさ的にも役の追加的な意味でも非常に良かったです。

新キャラクター クロード

ゼップスと共に登場するクロード。

「僕もいつかルドルフ皇太子の物語を書いてみたいなぁ」と言っていたクロード君はのちの「うたかたの恋」原作者のクロードアネなのが良い演出ですね。

そしてゼップスが逮捕される時の場面がやや「エリザベート」オマージュなのでファンは楽しめるかも。

余談ですが今回は所々エリザベートのオマージュがありますね。

ゼップスの姿はそのままエリザベートのツェップスだし、マイヤーリンク邸で飲むワインもわざわざ「トカイワイン」になっていました。

ヴェッツェラ邸居間

これは新場面ではありませんが役が増えました。

マリーの兄ジョルジュです。

そしてマリーとラリッシュ伯爵夫人がルドルフとの密会を相談する時に妹ハンナが弾くピアノの音量を大きくする、という演出もハンナが少し目立って良かったです。

プラーター公園

元々あった場面をよりダイナミックに、そして組子の出番が大幅にアップしました。

まず公園で踊る男女達も新演出。

役が少ないと言われていた従来のうたかたの恋ですが、ここで下級生まで一気に組子達を見れるようになっています。

そして今まで存在したツェヴェッカ伯爵夫人の侍女グレタの役が消え、代わりにミッツィ役が新登場。グレタとの役割は同じですが、今までマリンカが宮廷で歌っていた所をミッツィがそのまま公園で歌うようになっていました。宮廷ではないのでフランツとエリザベート達宮廷メンバーがいません。

ここでイキイキと一緒に踊るルドルフが良いです。ダンスが得意な柚香さんの持ち味が生かされています。

フェルディナンド大公の恋人ソフィーの追加

これまでは従兄弟のジャンに、ミリーという身分違いの恋人がいたのですが今回から新たに同じく従兄弟フェルディナンド大公にも身分違いの恋人ソフィーがいるという設定になりました。

史実ではソフィーの登場はルドルフの死後ですが、この作品に登場させる事で役が増える他に、ルドルフの不自由な立場がより強調される事となりました。

同じ皇族なのに2組も身分違いの恋人と前向きに歩もうとしているカップルが側にいるとそりゃ苦しい、なぜ自分だけとますます自暴自棄になるのも納得です。

ちなみに史実のジャンはルドルフの死後、皇籍を離脱しミリーと結ばれますが、二人が新天地を求めて乗った船は嵐で消息不明となりました。

フェルディナンド大公ものちにソフィーと結婚しますが夫婦共に暗殺されました。これが有名なサラエボ事件です。

うたかたの恋に登場する3組のカップル全てが悲劇的な結末を迎えるのはなんとも不幸であり運命的なものを感じます。そういった意味でもこのソフィーの追加は効果的で意図的なものを感じます。

ザッシェルの店

新曲があります。「ハプスブルクに乾杯!」の台詞の後に酒場のみんなで歌う軍歌みたいな曲です。すごく勢いがあり盛り上がる曲ですが、この曲が歌われている時のルドルフの表情が死んでいました。ルドルフの皇太子としての窮屈さと精神状態がとても現れています。

双頭の鷲

新場面、新曲です。

物語の終盤、元の舞踏会の場面になる前に登場人物が勢ぞろいし、盆がまわり、これからの悲劇が示唆される曲が歌われます。とても迫力のある場面です。

ステファニーの孤独

先ほども少し触れましたが、孤独な立場が一層強調されています。

今まではプライドが高く神経質で常にイライラしていて、何もしていないのになんとなくヒール的な立場になっていたステファニー。

今作ではそうなってしまうのも無理がない状況が描かれています。

まず笑顔でルドルフにダンスを求めに行ったのに露骨に真顔になるルドルフ。

過去のバージョンを観ると、そこまで露骨な態度を取られていません。紅ルドルフに至ってはステファニーにも笑顔でダンスに応じています。

更に侍女のエヴァからも嫌われている描写があります。今まではややステファニーに同情的なエヴァでしたが、舞踏会で踊るルドルフとマリーを見つめるステファニーを「ざまぁ」と言わんばかりの笑顔で見ています。すごく怖い。

今作のステファニーはルドルフに愛情があるように見えます。最後にマリーに詰め寄ろうとした時のステファニーは涙を流していました。

(どうして私はダメで貴女なの)といった声が聞こえてきそうでした。

夫には愛されず義母は愛人の味方、侍女にも馬鹿にされ、本当に居場所がない。

今までのステファニー像と違った可哀そうな正妻でした。

ちなみに史実ではルドルフの死後再婚して幸せに暮らしたそうです。良かった。

賄賂を受け取るラリッシュ伯爵夫人

ルドルフとマリーの仲介者としての夫人ですが、今までは親切心でやっているのかと思いましたが今回はロシェックから仲介手数料を貰っている描写がありました。

これまで他の女性も斡旋しているようだし、慈善事業でやっているわけではない伯爵夫人の人間らしさが浮き彫りになって良い演出でした。

娘思いのマリーの母親

これまで存在感の薄い母親でしたが、今作では印象に残る役回りです。

ルドルフとマリーの関係を察してマリーを強く叱り、マリーを1か月叔父の元へと送ります。これは嫁入り前の娘という事もあると思いますが、相手が皇太子なので、その先を心配しての母心でしょう。

実際修道院送りになってしまったし、舞踏会では過去作では暢気にルドルフとマリーを見守りますが、今作はこの時不憫そうに二人を見ています。

恐らくもう修道院行きの事を知っていたからでしょう。

そしてマリーもこの時修道院行きを既に知っていたのだろうとこの演出で気付きました。

マリーはマリーで、修道院へ送られるくらいなら大好きなルドルフと共に散りたいと思ったのかもしれないと二回目の観劇で思いました。

逮捕しにくるのがフェルディナンド

3番手の永久輝が演じるので従来よりも出番が増え、ルドルフと叔父フリードリヒに挟まれる難しい立場になっていました。

今まではフリードリヒがかなりの悪役で、逮捕もフリードリヒの野望がギラギラしていましたが、今回はソフィをチラつかせてフェルディナンドを説得してくるちょっと頭のキレるフリードリヒになっていました。

そしてフェルディナンドはソフィとの将来を取ってルドルフの逮捕にやってくるのですが、こっそり抜け道を教えようとする配慮があります。

この改変も物語が分かりやすく、よりルドルフにこの世の未練を断ち切らせる最後のキッカケになったに違いありません。その後のフェルディナンドの後悔が凄そう。

良くも悪くもな変更点

ロシェックとブラッドフィッシュのコミカルな場面

暗い作品の中の唯一の笑いどころロシェックの客席いじりや、ブラッドフィッシュと仲が悪い設定がなくなりました。

そして今までブラッドフィッシュは田舎者でぶっきらぼうな喋り方でしたが、これがなくなり爽やかな好青年になっています。

マリーをウサギと女鹿に例える役割もホヨスとフィリップ皇子になっていました。

私はこちらのロシェックとブラッドフィッシュの方が見やすくて好みでした。

ただブラッドフィッシュにくしゃみを吹きかける演出は変わっていなくて、このご時勢すごくヒヤッとしてしまったのでカットか変更になってほしい所です。

ルドルフの精神不安定さ、自殺願望の強調

過去作に比べ、ルドルフが普段から精神的に不安定で息が詰まる日々を過ごしている印象がやや濃くなりました。

マリーがルドルフの部屋でピストルを見つける場面。

今まではその理由を「皇太子はかなり危険な地位にあるからだ」とサラッとしていたのに対し、今回は「軍人でもあるし、それに皇太子は危険な立場にあるからだ、といった所でどうかな?」と台詞が追加されて嘘っぽい感じになっていました。

話し方や表情も何かを誤魔化そうとしているようで、(あ、これは表面的な理由で、いつでも死ねるようにという理由もあるんだろうな)と私は解釈しました。ここの柚香ルドルフの演技がとても良かったです。

酒場で泥酔する場面

新場面です。

ルドルフとマリーの関係が密告され、マリーは1か月間叔父の元に預けられ二人は引き離されてしまいます。

エリザベートからも応援され、指輪で愛を確かめ合っていた二人の場面から間もなく、急にアルコールで荒れに荒れたルドルフが登場する酒場の場面。ちょっとこれは急展開すぎに感じました。

舞台ではよく一瞬で何か月も何年も経ったりするので、これもマリーがいなくなった1か月の間に荒れに荒れたんだなという事は理解できたのですが、そこに至るまでにルドルフがマリーを依存する程に愛し、溺れていたような描写がまだそこまでありませんでした。

過去作と順番が入れ替わっているのでまだ二人は結ばれてもいません(なので指輪には結ばれた日付が刻印されていない)

マリーと1か月会えないだけであれだけ荒れる程にマリーを必要とし、愛していたのかというとそこは微妙に疑問で説得力がありませんでした。

しかしルドルフは元々精神不安定の鬱状態で、今回のように少しの事でバランスを崩してしまったんだなという事は察せられました。

自分の肖像画への発砲も皇太子という立場の放棄や自由になりたいという願望、それが叶わない事が分かっているゆえの希死念慮でもあるんだろうなと思いました。

そこへタイミングよくマリーが目の前に現れルドルフを優しく包み込む展開はちょっとうーんってなりました。ここでタイミングよく帰って来れたので、後に皇帝から告げられるマリーの修道院行き宣告の絶望もちょっと薄れて感じてしまいました。

そしてこの場面でマリーは従来のお姫様だっこをされ二人は初めて結ばれるのですが心の不安定さと酒の勢いで清らかな誓いを破って抱くのはなんかドキドキしないな、となりました。

この点は柴田版マリーの方がよほど大切に扱われているよなぁと思います。

しかし二回目に観た時に、ルドルフは荒れすぎてマリーすら「君もスパイなんだろう」と極度の人間不信に陥っており、ボロボロな精神状態が今回の心中の肝なんだろうと思いました。

愛する人というより、足りない愛情を補ってくれる人、自分の為に一緒に死んでくれる人を求めて縋り付いているようで、可哀そうでもあり怖くもありました。

そしてマリーに縋り付くルドルフの涙が頬を伝っていて、この時の柚香ルドルフの折れそうな程の演技が胸を打ちました。

マリーの「帰りません!」がルドルフへの愛と母性に満ちていました。

今までの二人の叶わぬ恋ゆえの心中という点で見たら、この演出は精神不安定すぎて道連れに選ばれたマリーという印象を受けましたが、もしかしたらこの解釈は今作では間違っていないのかもしれません。

そして髪とネクタイが乱れ開襟で弱った柚香ルドルフはめちゃくちゃに美しかったです。この場面の舞台写真があったら絶対に買います。(残念ながら開襟の舞台写真はありませんでした)

変更・カットしてほしくなかった所

殿下ではなく、ルドルフと呼ぶんだ

これは二人の関係がより親密に変化する大切な描写だと思うのにこのカットは残念でした。嬉しそうなマリーもけなげで可愛かったのにな。今回はどの段階からルドルフ呼びになっていたのかを思い出せないのでまた次回確認したいと思います。(二回目でも気付きませんでした)

めでたしめでたしですわ

マリーの「二人が同じ運命に運ばれていくのなら、どこでもどんな方法でもいいのです。お話の終わりにルドルフとマリーが一緒であったとあればどんな結末でも私には、めでたしめでたしですわ」の台詞。

私、この作品の最後の天国の場面ってまさにこのマリーの台詞から繋がって表現された場面だと思うのです。

確かに心中という方法ではあったけど二人は一緒、めでたしめでたしって終わり方。二人が寄り添い頭を傾け合ったおとぎ話の最後のページのような二人の姿。そこに繋がるこの台詞のカットも残念でした。

「逝く時がいつかはおっしゃらないで」「大丈夫、一瞬のうちで逝けるから」

狼ごっこがなくなり、「雪に吸い込まれそうで怖い」というマリーの台詞に変わり、「逝く時がいつかはおっしゃらないで」はありましたが、ルドルフの「大丈夫、一瞬のうちで逝けるから」は無くなっていました。

そして過去作の寝室に向かう時に改めてこの台詞がリフレインされスポットライトが当たり、お互いこれから心中しますよという意思を強調した演出も無くなっていました。

なので、寝室に向かうマリーに果たして心中の意志があったのかが分かり辛くなっていました。

心中するベッドに散らされた花

「旅立ちの床を花で飾ったのか。その心映えがいじらしい」というルドルフの台詞もベッドに花がないのでありません。

この演出も今夜このベッドで心中するんだとマリーも分かっていた事が示唆されていて、マリーの健気さやルドルフの腕の中で思い出をつぶやく事も最後の二人の時間なのだという哀しさが引き立っていました。

旅立ちの花もなくなったので、今回のマリーは本当に普通に眠っている所だったのではないか説が頭の中で沸いてしまい、まさかの新演出、心中の事を知らないマリーなのか?と思ってしまった程でした。

変更してほしくなかった所まとめ

以上、変更してほしくなかった所は主に心中場面の演出ですかね。

これらの演出がカットされたので本当にマリーはあの時心中する意志があったのか、下手したら知らずに自暴自棄になったルドルフに寝てる所を撃たれた?とさえ思ってしまいました。

あとは二人が結ばれる順序が入れ替わったので、結ばれてから二人が愛に溺れていくような描写や思い出がなく、結ばれて次に二人で出てくる場面が冒頭のドイツ大使館の舞踏会なのであまり二人に感情移入ができず、二人は心中する程に愛し合っていたのかの実感がなく、精神不安定になったルドルフの道連れにされた?という印象にどうしてもなってしまいました。

ただしこの順番の入れ替えは史実的には正しく、マリーは死の二週間程前にルドルフと初めて結ばれています。

ジャンの台詞で小柳版もマリーの遺書が遺されていた事が分かるので、マリーにも心中する意志があったらしいという事は分かったのですが、正直これらの演出のカットにより伝わりにくく、いつ心中を意識し遺書を用意したんだろうと疑問に思ってしまいました。

しかし二回目を観て、これは本当に自暴自棄になって全てを諦め、せめて一人ではなく愛情を与えてくれるマリーと死にたいルドルフと、修道院に送られるくらいならいっそ大好きな人と散りたいというマリーのお互いのエゴが合致した心中なのではと思いました。

今までは「二人が一緒になるには死ぬしかない」だったのが「全て叶わないしせめて愛を与えてくれる人、大好きな人と死のう」という理由なような気がしてきました。

それゆえ、美化された心中演出がなくなり、やや史実通りの現実的な描き方なのなら何となく腑に落ちました。

史実では「彼を幸せにするために私の命を差し出すことができるなら、喜んでそうするわ!」と友人に宛てた手紙が遺っているマリーと、マリーの前に別の女性に心中を持ちかけたルドルフ…

そして今回の公演ポスターを見ると、ルドルフが母に甘える子供のようにも見えます。確かにルドルフは母親の愛に飢えていたしそれが女性への依存にも繋がっているのかな。酒場の場面でもこのように縋っていましたね。

一見美しいポスターも、不倫関係の退廃的なけだるさの他に、心中後の死体のような冷たさ、そして不安定で愛情不足のルドルフと、マリーの母性も表現しているのかなと思いました。

番外編

心中時のルドルフ

これは好みの問題なので変更してほしい、ほしくないという話ではないのですが、最後にマリーを撃つ時のルドルフの様子を比較したいと思います。

ここに、一度少し観ただけなのに強烈に印象に残っている93年紫苑ゆうルドルフも加えたいと思います。

リアルタイムではないし部分部分しか観ていないのに、このルドルフが一番好き!理想!と私の中でなっています。うたかたの恋のアルバムは紫苑版を全曲ダウンロードしてずっと聴いてきました。

マリーを撃つ前の葛藤度

紅>凰稀>紫苑>>>和央>柚香

今回の柚香ルドルフはわりと初めから腹が決まっていたようで葛藤がわりと少なめ、美しき青きドナウも短くなっていたので結構すぐに引き金を引いていたように思います。

撃つ前の表情は(巻き込んでしまって申し訳ない)といった辛そうな表情をしていました。

(93年)紫苑ルドルフは馬車の音で一瞬我に返り首を横に振ってやめようとする悲しげな表情と葛藤がとても悲しくて印象的でした。

(13年)凰稀ルドルフは馬車の音にもう時間が残されていない事を悟る表情をしていました。とても辛そうで別れを惜しむようにマリーを慈しんでいました。

(18年)紅ルドルフ

一番未練がありそうで、すごく泣いていました。指輪をはめたマリーの手にも触れていました。

凰稀、紅ともに一輪の薔薇にキスをして、それをマリーの胸に置いてあげています。この中村演出が好きです。

(00年)和央ルドルフは馬車の音は特に影響なく、結構覚悟を決めていましたが少しの躊躇があり、こちらにも撃つ前の張りつめた緊張感が伝わりました。

あと2000年版は馬車の音が大きすぎて列車みたいになっていたのがちょっと面白かったです。

そういえば今回は馬車の音も無くなっていました。

葛藤に影響がないなら馬車の音はあってもなくてもどちらでも良いかなと思います。

引き金を引く前

紫苑→(マリー)と口の動きのみ

凰稀→「マリー!」と叫ぶ

紅→微笑みながら「マリー!!」と叫ぶ

和央→無言。客席に背中を向けているので口元は分からない。

柚香→無言。口の動きもありませんでした

まとめ

小柳先生の演出は、特に劇場での新場面や新しい役の追加で組子の見せ場が大幅に増え、台詞の追加がなくても表情や仕草で登場人物一人一人のキャラクターが浮かび上がり、作品自体の見え方も少し変わった事、そして恥ずかしい台詞や場面のカットがされていた点が良かったです。

ただ心中描写のカットや場面の入れ替えで二人が愛に溺れる様や心中の説得力が薄くなってしまった感じがして、うたかたの恋と言えば悲恋の美しい心中物語で見慣れていた私には、それらの場面が残っていればもっと良かったなと思いました。

ただし、二人の心中を新しい解釈をするなら、この演出になったのも納得ではあります。

以上覚えている限り色々と書き綴りましたが、結論から言うとやはり観れて良かったです。

ずっと大劇場の大階段で観たいと思っていた冒頭のプロローグを生で観た時の感動は胸にくるものがありました。

ミラーボールがまわり緞帳が上がったら赤い大階段に佇むルドルフとマリー、そして流れる柴田侑宏先生作詞、寺田瀧雄先生作曲の「うたかたの恋」の往年の演出は今後再度潤色されたとしても絶対に無くしてはならない名場面だと思います。

令和になり古臭く感じてしまう箇所を思い切ってカットし、台詞をほぼ変えず表情仕草ひとつで一人一人の登場人物に人格と背景をを与え、柴田先生の紡ぐ日本語の脚本の美しさをより引き立てた小柳先生の演出は、冒頭でも紹介したプログラムの言葉通り「原作の魅力を伝える事を第一主義」とした改変だったと思います。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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